盲導犬傷害事件に思う

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盲導犬傷害事件に思う

最近、盲導犬が実働中に鋭利な刃物で背中を刺されると言うとんでもない事件が起こりました。
服を着ていたようですが、どうやら犯人はおしりの部分をめくって直接皮膚に刃物を当てたようです。
フォークのような形状のもので突き刺されたような傷が残っていました。

使用者の方が職場に到着した時に服が血だらけになっていることを周囲の人たちが見て確認したところ、このような事態が発覚したのです。
東川口の駅周辺で起こったことであろうと推測されています。
この事件が起こった後で様々な方々が声を上げ始めておられます。
まずは、警察が器物損壊で扱っていることに対する憤りを多くの人々が口にしています。
日本には、動物の愛護と管理に関する法律が動物の福祉を守り適切な扱いを世に知らしめるためにあるにもかかわらず、これが運用されなかったことは非常残念であると言うことなのです。
盲導犬であろうとペット動物であろうと、また展示やその他の目的で飼育されている動物であろうと、同法のもとでは最低限の飼養管理基準を守らなければならないと同時にみだりに殺傷することも禁じられています。
どう考えても通常の「業務」に従事している盲導犬を傷付けることはこの「みだりに」に該当すると言わざるを得ません。
すなわち明らかに動物愛護法違反が起こったのです。
一番の問題点はここでしょう。
日本国の法律が破られたという事実に対して目撃証言を求める行動や監視カメラの映像チェックなどは当然やられるべきことなのです。
多くの人の流れがある駅という現場で起こった事件であればかならずや目撃者はいるでしょう。
また、監視カメラに何らかの証拠が残されている可能性も高いと思われます。
もし警察がそこまでしてくれないのであれば、誰が動かなくてはならないのでしょう?
策は色々考えられます。
まず一つは当事者、すなわち使用者です。
使用者と動愛法の「飼養者」は補助犬の場合同じ人間です。
自らの動物の保護者として訴えを起こす行動は当然のことです。
周囲の関係者に協力を求める必要はあっても訴えを起こす主役を務めるべきは動物の保護者自身です。
これは補助犬であろうとペットであろうと同じことなのです。
愛犬を第三者に傷つけられた場合には、大半の飼い主は即刻犯人探しに乗り出すでしょう。
次に動くべきは育成団体です。
自らの団体で教育や犬の供給を受けた障がい者がこのような事件に巻き込まれ、大変な思いをしている場合には、サポートを提供するのは当たり前のことです。
一人の使用者が警察に訴え出ても何も動かない場合も残念なことにあるでしょう。
しかし、全国ネットで多くの使用者を抱え、かつ政治力や財力も個人の使用者よりは当然あるであろう団体がしかるべきところに対し声を上げれば必ず何かが動き出すでしょう。
次に声をあげなければならないのはマスコミです。
「大変な事件が起こりました」だけではなく、これはれっきとした法律違反行為であることをはっきりと報道し、どのような法律が破られたか、またその解決のためにはどのような捜査が必要かが報道されなければならないのです。
ペンは剣よりも強しを実行に移してもらわなければ何のためにマスメディアが存在するのか分かりません。

次に考えなければならないのは、多くの方々が「犬が傷つけられた」と言う点に感情で立ち向かってしまっていると言うことでしょう。
多くの声が「かわいそう」と言う言葉を発しています。
確かに犬は大きな苦痛を味わっています。
これ自体は許されるべきことではありません。
しかし、それをかわいそうという言葉で表現してしまうと、逆に使役動物に関わっている人々は耳を傾けてはくれません。
補助犬はかわいそうだと言われて困る、という表現はしばしば訓練事業者等から聞く言葉です。
そうではなく、「自らが訓練した犬が大けがを第三者の意図的な行為の結果として負わされたのである」という事実をどう受け止めているのかが争点になるべきです。
かわいそうであるという言葉が先行してしまうと、どこかで議論がすり替わってしまう危険があるのです。
働く犬が可哀想なのではなく、怪我を負わされたことが可哀想なのである、と言う理解をまず皆が持たなければなりません。
むろん、働く犬が可哀想であると思っている方々は世の中には大勢います。
それはそれで時間をかけて別なところで議論をするべき事柄であり、今回の事件と一緒にして議論をするべきことであはりません。それはいらぬ混乱を招き話の本筋がずれてしまうことになるからです。

もう一つ今回のことで考えなければならないのは、使用者が障がいを持っているために状況によっては自分の犬を守り通すことができないかもしれないという点をどのようにして扱うかです。
ここには各団体の使用者教育の在り方なども絡んできます。
道具を使う場合には適切な使い方を説明するマニュアルがあります。
「この容器には60度以上の液体を入れないでください」と書かれたコップに沸騰したてのお湯を入れればコップは壊れるかも知れません。
犬を物と比べることは間違っているかもしれませんが、傷がいを補助する道具としてあえて考えるのであれば適切な使用方法ははっきりと明記するべきでしょう。
使用環境の温度の上限は、下限は、海抜何メートルまで使用可能、何時間連続使用可能等々を考えなければならないと言うことなのです。
むろん個体差もあり使用する人間とのチームワークの質などにもよるでしょう。
一言で全てを語るようなマニュアル作り自体には無理があることも重々承知しています。
しかし、犬との生活の中で自らの障がいに対してはどのような創意工夫が必要なのであるかは使用者のみならず、犬を訓練する側が十二分に事前に準備をしておかなければならないことなのではないでしょうか。

そして最後に、事件が起こったその時周囲の人たちは一体何をしていたのでしょう?
血を流している犬がいることにどうして誰も声をかけなかったのでしょうか。
このことが一番怖いことなのです。
動物に対する虐待行為が人間に対する暴力と密接なつながりを持っていることは近年心理学や社会学の世界ではかなり頻繁にいわれ始めていることです。
周囲の動物を傷つける人間を放置しておくことは、人に対する暴力の種を見過ごすことにつながります。
明日は自分の子供が標的にされても決しておかしくないのです。
悪い奴、という言葉でかたずけてしまう前に社会暴力根絶のためにも、自分や他の人間を守るためにも動物虐待は見逃すべきではありません。
目撃者の方々には情報提供を積極的にやっていただきたいと思います。
盲導犬が傷つけられたと言うこの事件、もう少し要因分析を冷静に行う姿勢を皆さまに求めていきたいと思う次第です。

山﨑 恵子

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