イルカの追い込み漁

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イルカの追い込み漁 ケネディ大使の発言により再び注目される

最近再び新聞の紙面にイルカの追い込み漁に関する記事が登場するようになった。
2009年の映画「ザ・コーブ」が注目されて以来のことである。
当時サンダンス映画祭やアカデミー賞などの場面で取り上げられたこの映画に対して日本もメディアはこぞって文化批判であり許すべきではないと声をあげていた。
またさらには日本国内での上映に対して反対する団体のデモなどもあった。
不思議なことに実際の上映が実現してからはあれだけ声高らかに避難をしていたワイドショーン司会者たち等が皆何も言わなくなったのである。
実際の場面を見てからきちんとした意見を言ってほしかったのであるが、それが全くと言ってよいほどなかったのである。
それは一体なぜであろう?
実際の血なまぐさい場面を目の当たりにして何も言えなくなったのであろうか?
しばらく何も言っていなかったこのメディアが最近ケネディ駐日大使のツイッタ―発言からにわかに再びイルカの追い込み漁を取り上げるようになった。
今までの報道では牛や豚を食べる欧米人からイルカを食べるなと言われたくない、という点が再三持ち出されていたがそこには人道的屠殺の概念に関する言及は全くなかった。
牛であろうと豚であろうと現在の畜産・食肉産業においてはできる限り動物の福祉を守りいらぬ苦しみや恐怖を与えることをするべきではないという考え方が浸透しつつある。
欧州と比べるとまだ日本の畜産の現場ではこのような概念がやや希薄であると感じられるが産業動物の福祉という課題は決して未知のものではない。
とすれば、イルカも哺乳類として同様の配慮がなされるべきでありこれは食べる食べないの議論とは全く異なるものである。
人間が口にする肉や動物由来製品の源である生体は3つの段階においてその福祉が侵害される可能性がある、それは育成、輸送、そして屠殺である。
狭い場所に閉じ込められ育成されたり自然な行動をとることが全くできない環境に置かれたりし、換気の悪い輸送車両にぎゅう詰めにされ休息・給水もなく長い距離を輸送され、挙句の果てには苦痛や痛みを感じるような殺し方をされ、かつ仲間の悲鳴を聞きながら死んでいく、このようなことがあってはならない、と言うことで産業動物の福祉を守る運動がおこってきたのである。
イルカやクジラと言う哺乳類とて全く同じに扱われるべきである。
牛や豚を食べるからこそ言えることなのではなかろうか。
このような思いで一連の報道を見ていると2月11日の朝日新聞の紙面に屠殺方法に関する記載を発見した。
「ザ・コーブ」で取り上げられた和歌山県太地町の漁協関係者の発言である。
「非人道的と言う指摘は誤解である」と言う発言であった。
現在使用されている30センチほどの「器具」で「瞬時に仕留める」手法はイルカに苦しみを与えるものではないと主張している。
この関係者は大使に「見に来てほしい」と発言を続けているのである。
本当であろうか?
メディア関係者が漁の取材をしたいと申しでたらできるのであろうか?
一般人が見学をしたいと言ったら見せてくれるのであろうか?
そしてそれら見た人々が「イルカは苦しんではいない」と言う結論を出すに値する場面を見せることができるという自信があるのであろうか?
そうであればぜひ見せてもらいたいものである。
外国ではない日本の動物福祉団体に公開して意見を聞いてもらいたいものである。
海外の輩がとやかく言ってくる、それで困っていると言うのであれば自国の動物関係者に公開してほしい。
最近では、これも「外国物」であるが、海洋哺乳類や動物行動学の学術関係者が上記のような屠殺方法は動物に苦痛を与えているという論文も発表している。
少なくとも家畜の人道的屠殺方法に関しては例えば「スタ二ング」のやり方等々に関して技術的な検討が加えられてきた。
イルカはどうであろう?
意識をどの時点で失うのか、心停止までどのくらいの時間がかかるのか等々誰かが研究をしてきたのであろうか?
いずれにしてもイルカの追い込み漁に関する議論はいつもすっきりしない「気持ちの悪い」ものである。
それに加担している日本のメディアは「相変わらず」としか言いようがない。

山﨑 恵子

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